春の西日本侵略③──桜が散る音は静かで

4月2日(日)

前日に東京を発ち、1日半にわたった東海道すごろくを終えた一行。軽い打ち上げ的なサムシングを実行し、11人は神戸駅で解散となりました。新幹線で当日中に東京へと帰る人、18きっぷで来た道を戻る人、ついでとして関西に滞在する人。ええ、私はこうして「春の西日本侵略」という題でブログにしているわけですから、引き続き関西をうろつきます。八川です。帰宅までもう少しお付き合いください。

 

そんな往路の一大企画「東海道線すごろく」は3本立てで記事にしております。当ブログの注目記事として執筆時点でもTOP3を独占しているのですが、時々順序が「前編>後編>中編」となっており、読まれていること自体はありがたいのですがしっかりと中身を把握されているのかいささか不安になります。戦略が結構複雑なので、まだの方はぜひ飛ばさずに読んでみてください。

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なお本記事は春の西日本侵略シリーズのPart3となっておりますが、Part2までとは別の旅行となっています。こちらは特急乗り潰し三昧です。ぜひ合わせてお読みください。

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さて、私・八川と、東海道線すごろくで逃げ切りツインテールとして行動を共にしたわかきゅーさんYONOASOBIふりうりさん3人は大阪で新快速を乗り捨て、新今宮まで環状線を内回り。新今宮からは大和路線に乗り換え、JR難波を目指します。車両は2023年度をもって引退予定、絶滅寸前の201系電車です。

 

大和路線天王寺から大阪環状線に直通する大和路快速区間快速と、そのまま大和路線本来の終点であるJR難波を目指す快速・普通の2系統があり、201系は後者にしか入らず、本数も減少傾向にあります。私は4年前におおさか東線、大昔に中央線でも乗車したことがありますが、ひょっとすると最後の機会かもしれません。

編成番号で言うトップナンバーのND601編成が、車番と運用番号を揃えて来てくれたのはちょっと嬉しいですね。

 

今日はこれ以上鉄活動をする予定はなく、なんば到着後は一行でミナミを練り歩き、ミリマスとコラボ中のソフマップへ。左から真壁瑞希馬場このみ北上麗花の3人が出迎えてくれました。めぼしい物はなかったので買いませんでしたが。

このあとは近鉄日本橋まで歩き、鶴橋で八尾に向かうわかきゅーさんをお見送り。私とふりうりさんは京橋に同部屋の宿を取っていたので、この日は早々に宿に到着し終了です。関西まで来て消極的な行動ですが、すごろくで疲労が溜まっていたので仕方ないですね。

なお、わかきゅーさんはこの後姫路で1泊、広島に足を運んでサンライズで優雅に東京へと帰っていきました。うらやましい。

 

4月3日(月)

ソフマップの次の写真が、京橋にあったよく分からない信号機でした。おはようございます。本日の宿は岡山県新見市です。引き続き18きっぷで移動していきますが、新見には終電で到着する予定。乗ったことのない路線を乗り潰しながら向かおうと思います。

 

というわけで、京橋からはJR東西線に乗車。大阪市街地を東西に貫く、1997年に開通した比較的新しい路線です。京橋方は学研都市線と、尼崎方はJR神戸線JR宝塚線相互直通運転を実施しており、直通先では優等種別となる列車もありますが、JR東西線内は各駅に停車します。

 

大阪城北詰です。学研都市線は、JR東西線が開通するまで京橋よりもう1つ先、当駅にほど近い位置にあった片町駅を起終点としていました。国有化される前、私鉄だった頃に独自のターミナル駅環状線の内側に作った名残*1ですが、接続路線がなく利用客も少なかったため当駅に振り替えられる形で廃止されました。学研都市線は起終点駅を失った影響で、JR東西線とはほぼ一体となって運行されています。当駅の仮称は片町駅でした。

 

大阪天満宮です。大阪環状線にある天満駅は「てんま」なので、ちょっとややこしいですね。駅名標は大阪メトロの接続駅が記されている珍しい形態をしています。こちらも仮称は南森町駅と同一だったそうで、その名残なのかもしれません。

 

北新地駅です。大阪駅の至近に所在しており、地下道で連絡しているそうです。特殊な経路であれば特例で乗換駅として扱われるようですが、普通に乗っていれば適用されることは無いと思います。仮称は「桜橋駅」で、正式決定時には桜橋地区の人々が「桜橋北新地駅」への変更を求めていたとか。

 

仮称の話が続きますが、新福島は元々「福島駅」として開業予定でした。大阪環状線の福島駅とは若干離れていますが、阪神線の福島駅が至近に位置するためです。紛らわしさが勝ったようです。

 

新福島駅を出ると大阪環状線から離れ、淀川へ向かう途中に海老江があります。阪神線の野田駅と接続していますが、離れたばかりの大阪環状線にも野田駅が所在するため、仮称は「野田阪神」でした。先に開通していた大阪メトロ千日前線阪神線との乗換駅であることを強調するための駅名で、もしこれが採用されていれば他社線を駅名に含むJR駅が誕生していたことになります。

 

御幣島駅です。JR神戸線で言うと塚本駅あたりの位置になりますが、20分ほど距離があります。仮称は「歌島橋」で、「歌島」は隣の駅「加島」が転訛したという説があるそうです。実質的に同じ駅名が2連続になっていた世界線もあったかもしれません。

 

加島駅です。JR神戸線の高架下にありますが、そちらに駅はなく単独駅となっています。仮称は「竹島」で、当駅の北口が「加島」、南口が「竹島」という地名のようです。配慮かは分かりませんが、南口の第1種駅名標は「竹島東口」「竹島西口」と記されており、「加島駅」の記述はどこにもないらしいです。改札出ておけば良かったな。

 

日中ダイヤは7分30秒おきに1本。京橋方面は学研都市線内普通・区間快速が、尼崎方面はJR神戸線直通の普通西明石行と、JR宝塚線直通区間快速塚口行がそれぞれ交互にやって来ます。これにてJR東西線の駅巡りは終了、やって来た塚口行に乗車します。

 

尼崎駅からたった1駅、終点の塚口駅に到着。本来区間快速の通過駅で、かつては日中でも宝塚まで直通していましたが、本数削減に伴って折り返しができる塚口折り返しに変更となった経緯により、当駅折り返しの列車のみ停車駅となっています。発車標の3本目も区間快速ですが、こちらは大阪発着の純粋なJR宝塚線として走っている列車です。

 

尼崎駅で、午後の新幹線で東京に戻るふりうりさんとお別れ。ここからは3日目にして初めての単独行動です。時刻はちょうど正午を回ったところ。深夜の新見着まではまだまだ時間に余裕がありますので、このままJR宝塚線を下ります。

 

塚口駅からは、高槻駅から直通してきた宝塚行の普通列車に乗車します。この高槻始発は尼崎でJR神戸線から離れるわけですが、先述のJR東西線からの西明石行普通と連絡します*2JR神戸線JR東西線JR宝塚線音楽のシャッフル再生ボタンのような運転系統をしています。

 

宝塚駅に到着。接続列車の前に、山陰本線城崎温泉まで向かう特急こうのとりがやって来ました。君どこにでもいるね。くろしおと同じく、やはり北陸本線を追われた289系です。どうしても北陸の顔というイメージが拭いきれず、そこらへんを走っているのは強烈な違和感があります。

 

篠山口(ささやまぐち)まではこちらも西日本の顔・223系で向かいます。てっきり新快速たちと共通運用が組まれているのかと思いきや、こちらは旧来の221系程度の性能に調整された6000番台という別区分で、前面の貫通扉にオレンジ色の線を引いてしっかりと区別しているようです。JR宝塚線から221系は撤退していますが、それ以前は221系が受け持っていた運用のため、同程度の性能で十分と判断されたようです。

 

宝塚からたった1駅、まだまだアーバンネットワーク範囲内のはずである生瀬駅の時点で播磨徳久駅西日本私的遠征④参照)のように日差しで色が抜けきった駅名標地帯に迷い込んでしまいました。いい感じに咲いている後ろの桜とあまりにミスマッチです。廃線危機ってわけでもないんだから交換してあげて。

 

篠山口に到着。「JR宝塚線」の愛称は当駅までで、ここからは正式名称の「福知山線」として案内される区間に入ります。車両も同じ223系ですが、こちらはワンマン運転対応の5500番台です。別線区ですが嵯峨野線内で221系と併結運用を行うため、5500番台にも識別用のオレンジ色の線が入っています。

 

せっかくの初乗車区間でしたが、車内でやよい軒の親子丼*3を食べたのち爆睡してしまい次のカットは終点の福知山。1日ぶりに京都府に戻ってきた形になります。福知山駅はそんな京都から延びてきている山陰本線との乗換駅で、京都丹後鉄道の宮福線も乗り入れています。

 

福知山は各方面を結ぶ特急列車の接続駅として機能しており、北近畿高速ネットワークを形成する特急同士が接続を取り合います。左から、京都丹後鉄道の天橋立から当駅を境に山陰本線へ直通する特急はしだて京都行、山陰本線城崎温泉を起点として福知山線に入る特急こうのとり大阪行、京都から城崎温泉へ向かう純粋な山陰本線特急の特急きのさき城崎温泉行です。287系が3本同時に並ぶ光景は圧巻です。

 

特急はしだての発車からほどなくして、4番のりばに新大阪始発・福知山止まりの特急こうのとりが入線してきました。顔は違いますが、こちらも宝塚で見た289系です。到着後、福知山を目的地としてそのまま改札へ向かう客と、向かい側のきのさきに乗り継ぐ客が半々ほど見受けられました。特急街道な福知山ならではの光景と言えるでしょう。

 

私は18きっぷ利用なので、特急列車がすべて出払った後にひっそりと入線してくる普通列車に乗車します。山陰本線下り、普通豊岡行です。車両は国鉄型車両の113系、数日前に草津線から撤退したばかりの車両と同じ緑一色の塗装でやって来ました。こちらではもうしばらく走りそうですね。

 

城崎温泉から先は以前はまかぜ西日本私的遠征②参照)で乗車したことがある区間だったので、途中の和田山播但線に乗り換えます。寺前の非電化区間気動車のキハ40、まさかの1両です。豊岡行の到着を待ってから発車するダイヤのため、ほとんどの座席が埋まっていました。これは寺前まで立ちっぱなしかと思いきや、すぐ隣の竹田で運良く座席にありつけました。やはりはまかぜ停車駅は偉大。

 

生野駅。非常に見にくいですが、窓から望める駅名標の矢印が左側にしかついていません。ここは日本では珍しい右側通行の駅です。和田山側から左側通行を守って左ホームに入線しようとすると、線路分岐が左側のため上りの勾配中に速度制限がかかってしまい、蒸気機関車では勾配を上りきることができなかったため、やむなく線路がまっすぐになっており速度制限のない右ホームを本線とした名残が今でも続いているというわけです。ちょうど列車交換するダイヤで、実際に経験すると猛烈な違和感がありました。

 

寺前駅から終点の姫路駅までは1998年に電化された区間となりますが、運用車両はかつて3447両を数えた国鉄通勤型車両の代表格・103系です。かつて首都圏でも大量に見られましたが、2006年を最後に撤退。JR西日本では近年まで大阪環状線大和路線など第一線で活躍を続けていましたが、時の流れには抗えず運行終了。残すは加古川線JR九州筑肥線とここ・播但線のみとなっています。

とりわけこの播但線は朝に1往復だけ221系が乗り入れてくる以外は全て103系で運用されており、キハ40形と合わせて国鉄時代から時が止まったような線区となっています*4。しかも100km/h出します。元気なおじいちゃんです。

 

そんな103系の爆走を堪能し、列車は姫路に到着。4両で上ってきましたが、夕ラッシュが始まっているため姫路で2両ずつに分割して17時48分の寺前行・18時10分の福崎行に分かれるようです。かつては首都圏で15両を成した同形式ですが、こちらでは利用実態に合わせた柔軟な運用が組まれていて興味深いですね。

 

まだ外は明るいですが、もうすっかり夕飯時。姫路駅から至近のスーパーで何かないか探していたところ、駅弁フェアと題しながら売れ残っているかわいそうな駅弁を発見。但馬牛牛めしです。ここらの牛と言えば神戸牛が有名ですが、神戸牛は但馬牛の中でもとりわけ出来の良い肉に名づけられるようです。但馬牛自体、他地域の牛と交配することを避けてきた純粋な種ということで、それだけでも価値が高いそうです。

 

というわけで、4割引かつ1日遅れではありますが、東海道線すごろく勝利の祝杯を上げようと思います。運ぶ最中に若干崩れちゃいましたが気にしないことにします。さすがは神戸牛のポテンシャルを持っているだけのことはあるのでしょうか、やはり美味しかったです。超高価な牛肉って食べたことがないので、比較するほどの肥えた舌は持ってないのですが。

買っておいて身も蓋もないんですが、牛肉って安めのものを焼肉屋で白米と食べるのが何よりも美味しいと思います。実際に神戸牛を食べるとなると、お肉に対して必要以上に気を遣っちゃいそうなんですよね。食べ物への感謝は忘れないながらも、食べる自分が主役くらいの心持でバクバクいくのが精神衛生上最も優れていると感じました。

 

姫路からはいよいよ姫新線に入ります。路線名の通り、姫路から新見まで乗り通しで本日の宿を目指します。まずは19時24分発の佐用行。列車を待つ人々で大行列ですが、そのほとんどはベッドタウン化している播磨新宮までの駅で降りていきます。2両編成ですが、乗っていた車両は播磨新宮を出た時点でたった6人になってしまいました。車内は快適になりましたが、なんだか寂しい気がします。

 

佐用からはみんな大好き・キハ120形の縄張りです。津山駅から勝間田・林野までの客を乗せて佐用までやって来た運用の返しであるため、利用客の少ない駅をすっ飛ばす快速運転を行います。もちろん大して早くはないです。ただしこの運用に限っては「返しは需要が少ないから快速」というより「津山からの津山線に間に合わせるために快速」という側面が強いように感じます。

 

勝間田駅美作江見行の普通列車とすれ違い。交換駅が少ないため、この美作江見行は快速津山行を津山線に接続させるために、何が何でも定刻で勝間田までやって来る必要があります。そのためか、前運用である中国勝山発津山行が快速運用になっています。津山からは(一応)各駅への需要があるため普通列車となるので、方向は変わらないのに別列車として運転される、津山周辺では珍しい運用です。なお、津山中心主義だから列車番号を変えるというわけではなく、下りに佐用発新見行があります。

 

そんな岡山県北部の中心地・津山に到着。津山からはキハ40系列の中国勝山行に乗車します。普段はここもキハ120形の縄張りですが、津山~中国勝山駅間の数往復に限ってはキハ40形が運用されます。反対に、キハ40形のテリトリーである津山線にも、キハ120形による普通列車が何本か設定されています。

 

普段は両運転台*5のキハ40形を2両繋いで運転されますが、この日は片運転台*6のキハ47形との混結編成でした。このあたりだと超貴重!というわけでもないようです。たぶん。

 

中国勝山に着き、跨線橋を渡ると本日最後の列車・中国勝山始発の快速新見行が待ち構えているわけですが……なんと岡山地区に1本だけの浜田色が充当されているではありませんか!!

 

先ほど乗車した快速津山行との比較。車体は同一ですがラインカラーが異なります。浜田色であるキハ120-357は塗装の通り浜田鉄道部に在籍し、山陰本線などで運用されていたごく普通の車両でしたが、2020年に岡山色のキハ120-358が芸備線で脱線・廃車に。その代替として、浜田色のまま岡山に転属してきたわけです。

 

確率にして16分の1。2022年3月・12月には見ることすら叶わなかったため、3度目の正直、念願の遭遇です。外見以外は何も変わりませんが、しかしやはり格別感があります。なおこの運用は休日運休なので、中国山地に興味を持たれている方はご注意を。

 

列車は途中月田と刑部のみ停車し、富原・丹治部・岩山は通過します。利用客数を見ると妥当な数字ですが、乗降は全くありません。この浜田色は今、私のためだけに走っている貸し切り列車です。新見の留置線に帰ってるだけとか言わない。

 

23時34分、姫路から4時間強。姫新線の158.1kmを走破し、終点の新見に到着しました。最後の最後に嬉しいサプライズでした。これはよく眠れそうですが、明日の朝も早いのです。

予定では姫新線の4時51分発快速中国勝山行に乗車し再び姫新線を戻ろうとしていましたが、浜田色が来てしまった以上、思い切ってここは明日の浜田色が入る運用に乗車しようと思います。浜田色が入る運用の選択肢は前述の姫新線ともう1つ、私が初めて新見にやって来た時に乗車したあの快速列車があるのです。

 

運転士さんが明日の運用に備え、手回し式の方向幕を回し始めました。

 

快速 備後落合

 

次回 世界一暖かい春

ド田舎の2駅分徒歩、キハ120との戦いが始まる。

*1:当時は環状線ではなかったものの、既存路線より1駅内部に食い込むイメージとしては仙石線あおば通駅が近い。

*2:反対に、乗車していた塚口行は該当する接続列車がなく、高槻始発のJR神戸線普通まで10分ほど待たされます。

*3:京橋でテイクアウト。旅行支援適用で0円。

*4:先述の通り電化は1998年のことなので、1987年以前の国鉄からの運行形態が保たれているわけではない。

*5:列車の前後ろ両方に運転台がついている形態。1両で運転可。

*6:列車の片方に運転台がついている形態。片方に運転台がないので1両運転不可。基本的に片運転台+片運転台を繋いだ2両で運転される。