西日本私的遠征④──貨物さんの貨物列車~姫新編~

おはようございます。12月29日、この日も旅立ちは鳥取大学前駅からです。前日と同じように家主を叩き起こし、戸締まりをしてもらって出発。しかしもう戻ってくることはありません。ちょっと名残惜しいですが、荷物をすべて持ち駅まで歩いてきました。八川です。

 

前日も乗車した7時02分発の鳥取行で鳥取に向かうところから今日の旅は始まります。通勤でもなんでもない旅先で2日連続同じ列車に乗る、というのはなかなか奇妙な感覚です。

 

7時19分発の因美線に乗車します。ここまでは昨日と全く同じ旅程ですが、昨日車内を埋め尽くしていた高校生がこの日は1人もいませんでした。2学期も部活も終わり、冬休みに入ったんでしょうね。

 

昨日は郡家で若桜鉄道に乗り換えましたが、郡家はスルーして終点の智頭まで乗車。道中は爆睡していたので覚えていないものの、いずれ駅巡りで訪れることになるでしょうから問題なしです。

さて、因美線は智頭で終わりではなく、津山まで続いている路線です。ほとんどの列車が智頭で系統分離されているため、跨線橋を渡って次の列車に乗り継ぐわけです。

 

久しぶりだな。

木次線芸備線などで散々お世話になった2022年3月以来、実に9ヶ月ぶりのキハ120系です。キハ120系が走っている線区=すなわち赤字という例に漏れず、智頭から津山までの区間はこの車両がたったの1両でトコトコ走っている区間になります。智頭までは特急「スーパーはくと」の通り道になっており、智頭急行に直通する普通列車も設定されている一方で、こちらは智頭急行の開通により普通列車だけとなり、完全に分断された区間。そんな所に、コストカットを詰め込んだキハ120形が寂しく数往復。もうたまりませんよね。この気持ちを理解してくださる方を探しています。

 

那岐駅を越すと県境の山中に入り、列車は10分以上加減速を繰り返しながら岡山県に入ります。沿線には若桜ぶりに雪が見られるようになってきました。

 

ということで津山駅に到着。以前は快速で乗った区間だったので新鮮味があるかと思いましたが、快速も必殺徐行*1効果でさほど早くはなかったため、体感は変わりませんでした。

 

ところで、津山は3月にも来訪したことのある場所です。その際には遅れ通過貨物さんがご厚意で車を出してくださり、先ほどまで乗車した智頭~津山駅間の各駅を駅巡りさせていただいた思い出の地です。

 

表題にある通りなので回りくどいことは書きませんが、なんと今回車を出してくださいました。2回目は津山から東、姫新線の津山~姫路駅間を車で巡らせていただきます。因美線の智頭まででも鉄路で片道40km近くあるのですが、津山から姫路は86.3kmもあります。それを乗せていただけるというのです。

 

本日の旅程はこんな感じ。東西南北に路線が延びる津山から見て、北と東を制覇する形になります。なお、鳥取から姫路へ出るのに普通列車、それもJRのみを使う人間は皆無であると思われます。

 

東津山駅因美線と分かれ、1つ目の駅は美作大崎(みまさかおおさき)。駅舎……ではなく待合所があるだけの無人駅です。本来の地名は「おおき」だったようです。

 

駅名標。両隣も地名単独の駅名ではないため、若干窮屈な印象を受けます。

 

貨物さんは東京臨海高速鉄道の駅に仕立て上げてました。りんかるは編集ですが、70-000形の鉄道模型実車(実写)です。本家の大崎駅も侵略できるといいですね。

 

続いては坂道を下りた先に見える停車場。これが西勝間田(にしかつまだ)駅の入口になっています。とうとう目印すら消失しました。

 

一応、お情け程度に待合所がありますが、向かい側は殺風景です。これでも姫新線内で最も新しい駅なのですが、どこに需要を感じて設置されたのかは謎です。

 

駅前にある木造の駐輪場には、「自発ゾーン ロックに!!」と謎の啓発をする立て看板が満身創痍の状態で置かれていました。交換してあげて。

 

つづいては勝間田(かつまだ)。なんと近年駅舎を改築した、勝央町(しょうおうちょう)の中心駅です。駅前に大通りがあり、心なしか活発に見えます。

 

駅構内の駐車場にはバスが2台も停まっていました。これは大都会の象徴です。

 

駅は2面2線の交換駅。なんと、しっかりとのりば番号が設定されています。田舎では、2線以上あっても一切案内されていない駅が多々あるため、これは大都会の象徴です。

 

駅舎の構造の由来と、美作七宿(勝間田宿)についての説明書きがありました。こういう構造物は大都会っぽいですし、このあたりに街道が通っていたという事実からも、勝間田が大都会であることに疑いの余地はありません。

 

そんな勝間田駅の乗車人員は126人/日。隣の西勝間田駅と比べると11.5倍もの利用客数を誇ります。佐用から津山までの途中駅の中でも最も多い値であり、輝かしい存在感を放っています。

 

……駅名の縁起は良いですが、やはり過疎化には抗えないようです。姫新線は姫路近郊こそ通勤路線ですが、播磨新宮を過ぎればただの地方交通線。キハ120形が投入されているこの区間など言うまでもありません。芸備線だの木次線だの限界な路線があるせいで話題になりませんが、姫新線も立派な廃線候補。10年後、元気に走っていると良いのですが……。

 

続いては林野(はやしの)です。美作市姫新線側の代表駅*2で、利用客数は100人前後。学生利用が多く、簡易委託駅にもなっている中規模の駅です。主張の強い看板の通り、湯郷温泉という温泉街の玄関口にもなっています。

 

ちょうどキハ120形がやってきました。真っ昼間にも関わらず、学生以外の乗降がありました。もっとも年末の12月29日なので学校があるはずがないのですが、それ以外の定期的な利用客の存在を確認でき感動です。

 

当駅にはまともな屋根が設置されており、なんと吊り下げ式駅名標があります。関西近郊ではよくあるものですが、中国山地では非常に珍しい形態と言えます。夜になったら光るんでしょうか。

 

地元利用もさかんで観光需要も見込める同駅ですが、駅舎の駅名標はかなり古いものが使用されています。しかも裏側にもう1枚あります。これは趣味者の心をくすぐられすぎて呼吸困難になります。駅舎とともに、廃線となるその日まで残り続けてほしいものですね。

 

続いては楢原(ならはら)。再び駅舎なしの待合所だけに戻ってしまいました。当駅に用いられる「楢」という字は駅名としては唯一だそうです。電報略号はナハ。黄色い電車が走ってきそうですね。

 

当駅には待合所貼り付け、自立式の駅名標のほか、柱式のものもあります。2011年までは簡易委託駅だったようで、その名残で規模に対して過剰に設置されているのかもしれません。利用客数は20人前後で推移。

 

続いては美作江見(みまさかえみ)。「誰もが抱く大切な風景としてピッタリだった」として、駅名もそのままコマーシャル動画に使用されたことがある、風情と貫禄のある立派な木造駅舎です。

 

2面2線の交換駅ですが、駅舎側が佐用方面の2番のりば、反対側が津山方面の1番のりばとなっている特殊な駅です。全国の駅に詳しいわけではないので何とも言えませんが、やたら中国山地の駅に多い気がします。他の地方ではどうなんでしょうか。

 

津山方面は1番のりばなのですが、当駅で折り返す津山方面の列車は2番のりばを使用します。21時48分発は最終列車で、楢原・西勝間田・美作大崎を通過する快速運転を行います。駅舎のない方々です。

 

岡山県最後の駅、美作土居(みまさかどい)です。土居タクシーによる簡易委託が行われていますが、不在でした*3

 

1面1線ですが、古めかしいのりば案内も存在します。かつては交換駅だった名残でしょうが、この看板の古さが設備を廃して久しいことを教えてくれます。

佐用・上月~津山駅間の快速は上記の3駅に加え当駅も通過します。かつては土居宿として美作七宿のひとつに数えられていましたが、その末路は快速通過駅です。悲しいものです。

 

ちょうど佐用方面の汽車がやってきました。さすがに乗降はないだろうと踏んでいましたが、青年が1人降りていきました。発車を見送ったあとにどこへ向かったのか見渡しましたが、すでに姿はありませんでした。この駅の簡易委託は、ひょっとすると青年のために続いているのかもしれません。

 

兵庫県に入ると、管轄が岡山支社から神戸支社へと変わります。最初は上月(こうづき)。特産物直売所と一体になった駅舎です。

 

上月以東は、基本的に駅名標姫新線の路線色が反映されたものになります。美作土居も都会っぽく見えますね。

 

津山方面からの列車は大多数がこのまま次の佐用駅まで乗り入れ、そこで姫路方面の列車と接続を取ることになりますが、一部時間帯は当駅での乗り換えとなります。

基本的には赤色の位置にキハ120形が停車することになりますが、当駅接続の時間帯は駅舎側の2番のりば青い位置に姫路方面のキハ122・127系が、1番のりばの黄色い位置にキハ120形が停車します。縦列停車はありません。

 

2番のりばの停車位置が異なるのは、キハ120形とキハ122・127系で乗降口の高さが異なり、のりばの高さが違うためです。そのため、何も知らない津山方面への客は目の前を通り過ぎる列車に呆然とする暇もなく、急いで停車位置に向かうはめになります。これならまだ良いのですが、佐用方面の客は警笛でも鳴らしてもらえない限り気づかないでしょうね。

 

智頭急行の交点となる佐用(さよ)です。自治体はさようですが、駅名はさよです。これは自治体の方が町制化に際して改称したようですが、理由はよく分かりませんでした。まさか読みやすさ重視なんてことないでしょうね。

智頭急行は特急も停車するため、姫新線というよりも智頭急行としての駅の方が印象的かもしれませんが、意外にも乗車人員は圧倒的に姫新線に軍配が上がります。

駅舎は智頭急行開通時に全面的に建て替えられており、ゴツいです。湯檜曽駅に似た何かを感じます。

 

改札も独立しており、「きっぷうりば」という概念が存在します。しかし運賃表にはなぜかJR神戸線以外に路線色が反映されておらず、ほぼ灰一色です。理由は謎です。

 

駅構内に掲出されていた川柳紹介の貼り紙には、当駅とは全く関係のないはまかぜが登場。西播磨一帯で貼り出しているなのでしょうが、これが佐用駅となるとスーパーはくとに喧嘩を売っているとしか思えません。勝てないのでやめたほうがいいです。

 

ここからはキハ122・127系のみが走る区間です。1駅目は播磨徳久(はりまとくさ)です。はりまとくさと読みそうになりますが、はりまとくさです。「ひまわりの郷ふれあいセンター」が入居する、ありがちな地元施設との合築駅舎になっています。利用客数は80人前後。

 

線路から見て北側に駅舎がある関係で、看板は南を向いています。姫新線の路線色は太陽光に消されやすい赤系統の色であるため、西寄りの自立式駅名標の路線色が若干薄れているのが分かります。

 

東寄りの駅名標に至っては路線色が完全に消されてしまい、次駅が分からなくなっています。洗剤も驚きの白さです。自然乾燥とは恐ろしいものですね。

 

続いては三日月(みかづき)。年末だったため電照が飾りつけられていますが、ひときわ目を引く三日月は通年設置のものです。

 

一風変わった地名は、奈良時代編纂の播磨風土記に「山陰の役人を朝廷に連行する間、この地で水漬け*4(みずづけ→みかづけ)にしたため」という由来が記載されていますが、「鎌倉時代の執権・北条時頼がこの地に三ヶ月間滞在したため」という異説もあります。奈良時代にはすでに存在していたはずの地名が、鎌倉時代に由来する説もあるというのは興味深い話です。どちらにしろ、空に見える三日月とは直接関係があるわけではないようですね。太陽のほうが主張激しいです。

 

なお、第1種駅名標はstaitionと誤植され、慌てて消した跡が残っています。日に100人以上も利用している駅がこれでは困ります。作り直せ。

 

2020年3月に駅舎が改築されてしまった西栗栖(にしくりす)です。我々はこれを駅舎とは認めない!

 

ローマ字には表記揺れがあり、駅舎もどきの待合所は「NISHIKURISU」、柱式の駅名標は「Nishikurisu」、落書きだらけの自立式駅名標は「Nishi-Kurisu」とどれも異なります。栗栖駅がないのに「西」とついているのは、当時の市町村が「東栗栖村」「西栗栖村」で分かれていたためです。東栗栖には駅が設けられなかったんですね。

 

ちょうどキハ122系がやって来ました。初見です。見た目は223系によく似ており、これが1両でトコトコ走っている光景はなかなか異常です。

先ほどはキハ122・127系と表記しましたが、両方向に運転台を設置し1両で運転できるのがキハ122系、片運転台となっており2両で走るのがキハ127系です。その他に差異はないため同形式として扱われる場合が多いようですね。

全車が姫新線に投入されていますが、遠く離れた新潟県えちごトキめき鉄道でET122形という兄弟車がいます。観光車両として有名な雪月花も遠い親戚です。

 

オタクの8割が同じ曲を口ずさみ始めると思われる千本(せんぼん)です。三日月同様由来の気になる駅ですが、千本通ばかりが引っ掛かりたどり着けませんでした。

 

自治体からのお知らせ欄には、ひまわりの写真がボロボロになって放置されていました。ずいぶんと住民に感受性を求めてくる町ですね。非常に独創的です。

 

駅前からは上郡駅までのバスが走っていますが、途中出雲大社なる停留所を通ります。これは出雲大社播磨分院があっようで、地元の人に分かりやすい名称にしたことが考えられます。

 

あっようです。現在「出雲大社播磨分院」で検索しても情報は引っ掛からず、Googleマップにも出てきません。同じ停留所をもつ別のバス会社は10年前に「出雲大社前」に改称したそうで、無くなってしまった可能性が高いと考えられます。

とはいえ、出雲大社級の分院が、無くなったという事実すら情報として引っ掛からないのはただひたすら奇妙です。怖いので誰か教えてください。

 

続いては、姫路駅からの大半の列車が当駅で折り返す拠点駅・播磨新宮(はりましんぐう)です。とても千本駅の隣とは思えませんが、本当です。津山から巡っているとこれが姫新線の駅であることすら怪しいですが、本当です。

 

発車標があります。津山駅には液晶に表示する独自のものがありますが、筐体を使用したものは新見からでもここが初めてになります。発車時刻からも、当駅を境に姫路方面と佐用方面で大きな差があることが分かります。

利用客数は1000人以上、千本駅が20人なので隣同士で50倍近く差があるということになります。もはやこっちが利用状況に合わせ千本駅を名乗るべきであります。

 

せっかく地方の路線に来たのに大きすぎる駅に長居する必要もないので、次に進みます。こちらは東觜崎(ひがしはしさき)。嘴(くちばし)のようにとがった突出している地形(崎)がある、という地形の形容がそのまま駅名になっているようです。

 

地名は、播磨新宮駅から当駅の間に跨る揖保川を挟んだ新宮側にも存在しており、一帯が觜崎を名乗っていることから「東」と名乗っているのかもしれません。

その揖保川も、そうめんやっぱり揖保乃糸で有名なあの会社の由来にもなっており、名産品として親しまれています。

 

竜野(ほんたつの)です。デカい。

それもそのはず、姫路~上月駅間の高速化事業が終了する2010年までは、播磨新宮ではなく当駅を境に折り返す列車がほとんどでした。播磨新宮の利用客が多いことから全ての列車が延長されたため本竜野行は消滅しましたが、利用客数は2000人以上、二千本駅です。

 

太市(おおいち)です。こちらも立派な建物に見えますが、目立つ位置には「太市駅」ではなく「カンリクグループ」という企業名が掲げられています。実は、本当の駅舎(もどき)は右下の小さな建造物であり、後ろの建物はかつての駅舎跡に建てられた、茶店と駅利用者向けの休憩所を兼ねた企業施設なのです。どうも、利用客を救済するために地元企業が土地を買収したようです。

300人程度の利用客でこの規模の駅舎にされてしまうのなら、千本までの彼らはどうなってしまうんでしょう。

 

余部(よべ)です。余部(あまるべ)鉄橋はここではなく、山陰本線にあります*5。駅舎こそ改築されませんでしたが当駅も2000人以上の利用客数を誇り、姫路からわずか2駅ながら当駅までの区間列車も設定されています。姫新線が敷設された当時、姫路~余部駅間のみ先行開業した名残かもしれません。

 

播磨高岡(はりまたかおか)です。前回の土師駅同様、最後の1駅は完全に陽が落ちてしまいました。こちらは姫路から1駅なので行きやすいですね。

もともとは1面1線でしたが、利用客の急増により駅舎の向かい側に下り線を新設、2面2線となりました。のりば番号も振られましたが、なぜか先にあったはずの駅舎側が2番のりばとなっています。運行管理上の付番と同じにしたのかもしれませんが、ちょっと理解しがたいです。

 

2番のりばには、文字が降りてくる謎の挙動をする接近表示器が設置されていました。私も珍しいと思いましたが、西日本在住の貨物さんも初めて見たとのこと。他に同様の挙動をする駅はあるんでしょうか?

 

というわけで、86.3kmにも及ぶ姫新線の駅巡りはこれにて終了。9時半に津山を出発し、姫路着は18時前。首都圏からふらついてきた異常男性を乗せて9時間弱も運転してくださり幸甚の至りです。本当にありがとうございます。

 

姫路に到着後は、貨物さんおすすめの二郎系のお店へ。実は私、二郎系初挑戦でした。普通盛で通常のお店の2倍あるという麺の量に困惑しつつも、味は健康に悪い種類のオイシイでした。つまり絶品です。ただし量が多すぎたので、お腹をタプタプにしながら帰ることに。二郎系は年イチくらいでいいかなあ。

 

いっぽう、貨物さんはこれぞ二郎系!と言わんばかりの溢れそうな具材たち。どんぶりが違うので、おそらく麺も大盛だったと思います。となると、普通の量の……これを平らげられる胃袋は私にはありません。しかし、写真を見ているだけでよだれが出そうになります。貨物さんとお会いした時に年イチで食べようかな(?)

 

その後は貨物さんとともに駅前で宿泊し、翌12月30日に姫路を出発。駅構内まで見送ってくださいました。時計は2周回り、24時間ご一緒させていただいてました。改めてありがとうございました!

 

その後は東海道線を上って帰るだけの修行です。途中、豊橋で下車した際には試運転幕を掲げる路面電車を見かけました。

 

静岡地区では遅延に捕まり、発車標は「熱海」と出しているのに停車しているのは「岐阜」行という不親切極まりない光景も見ることができました。見られないほうが良いんですが。

 

姫路を出てから11時間、東京駅ではにせさんが乗車電を待ち伏せ。私の故郷である下諏訪町を訪問した際に入手したという下水道蓋札をいただきました。ありがとうございます。

 

というわけで、21時ちょうどにさいたま新都心駅へ到着。普段ならここまで大雑把に振り返らないのですが、ついこの前東海道線を3記事に分けて丁寧に書いたばかりなので省略しました。あわせてご覧ください(直球)

以上、西日本の好きなところを巡る「西日本私的遠征」でした。書き切る前に既にもう2回関西に行ってしまったので、そちらもいずれ記事にしたいと思います。それではまた。

 

余談。この「西日本私的遠征」4本は、私が大好きな大和撫子・エミリーに合わせてなるべく外来語を排除して制作しました。明らかに無理をしている言い回しも彼女リスペ……尊敬の上で模倣しています。もしよろしければ振り返ってみてください。うっかり外来語を使っている箇所があったらこっそり教えてください。

*1:西のローカル線に多い、地盤の不安な箇所やかつて土砂災害などがあった箇所を時速25km/hに制限し、保守費用を浮かせるための徐行。

*2:同市にはほかに智頭急行が通っており、そちらの代表駅は大原。

*3:本当に毎日いるのか疑問でしたが、窓口を覗くと12月29日当日の領収書が置かれていたのでいるようです。驚き。

*4:川に顔を突っ込ませた。つらそう。

*5:山陰本線餘部(あまるべ)駅が地名と異なる漢字なのは、先に姫新線余部駅があったため。