西日本私的遠征①──夢ならたくさん見た

あけましておめでとうございます。1月22日ではありますが、更新を怠けていたためこれが2023年初めての記事です。本年もブログ「冗談だけ本当です」をよろしくお願いいたします。

 

しかし、今回題材にしますのは2022年12月26日。場所は熱海駅、ただいまより自分の「好き」をかなえるための旅行・西日本私的遠征を始めます。タイトルは以前「ハッピーエンドとそれから」で先に出したのですが、読者の方から「公的な遠征があるんですか?」と突っ込まれてしまいました。そういう意味の私的ではなく、本当に自分の「好き」だけを巡る旅、という意味を含んで名付けております。

 

というわけで、まずは西日本に向かうため18きっぷ東海道本線を下ります。JR東海区間、まず最初に乗車するのは熱海発沼津行です。途中停車駅は函南・三島のみと短い距離を走る列車ですが、午前に1本だけ特急型車両である373系がこの運用に入るようです。究極の間合い運用ですね。

 

沼津まで車内放送を収録し、三島始発の島田行に乗り換えます。階段を使ったうえで10分弱待たされたので、三島で乗り換えるのがおすすめです。

 

富士駅付近では、北側の車窓に富士山を見ることができます。冬の澄んだ空気によって、青空との対比もくっきり。ちょっとだけ雲隠れしてしまっていますが、富士山にかかればそれも芸術の一種であるように感じますね。

 

興津駅で下車。このまま島田まで行っても、ここ興津始発の浜松行に乗り換えることになるため、確実に座るべく乗り捨てます。この区間で尺を取ってもあまり意味がないのでさくさく行きます。

 

島田より先、浜松より手前の掛川で下車。上記と同じ理由で、浜松でも結局は掛川始発の豊橋行を捕まえることになるため、こちらで乗り換えます。車両は静岡地区のロングシートではなく、名古屋地区の転換クロスシートを備える313系でした。

 

先ほどから静岡・浜松で下車せず変な駅ばかりで乗り換えていますが、これは日中の静岡地区の列車がこのような様式で運転されているためです。

沼津を過ぎると静岡圏を中心とした地域で本数が増え、その周辺である富士~興津駅島田~掛川駅は本数が少なくなります。今回は浜松よりも西に向かっていますから、その区間を抜けるためには2回以上の乗り換えが必要になるというわけです*1。今までは朝や夜に通る機会が多く、熱海から浜松あたりまで1本で行けることがほとんどだったので、備忘録として記しておきます。日中に行くとこの区間をすんなり抜けることはできません。

 

豊橋駅に到着。ここからは完全な名古屋地区に入り、快速列車が大垣まで15分に1本走る18きっぱー歓喜区間です。なのですが、今回は前々からやってみたかった普通列車による乗り通しを実行してみようと思います。

 

列車は1駅目の西小坂井でさっそく後続に抜かれるため6分停車します。この快速大垣行が岐阜に到着するのは16時48分ですが、この普通列車が着くのは果たしていつになるのでしょうか……?

 

9駅先の岡崎駅では新快速の大垣行に抜かれます。普通列車はこの駅から本数が倍増し優等種別と同数が確保されますが、つまり豊橋~岡崎は普通列車の本数が優等種別より少ない、地方の特急街道みたいな運行形態をしている路線なのです。

 

刈谷では快速大垣行に追い抜かれ……るのですが、非常停止を知らせる信号を受信したためなかなか入線せず。4番線の先頭付近に赤く光っているのが非常信号を受信した際に作動する装置です。

 

数分の遅れを引きずりながら走行していると、今度は笠寺から熱田の間で「車両の安全装置が働いたため」急停車。原因は前方の踏切で障害物を検知したためとのこと。6分遅れで名古屋に向かいます。

 

名古屋では所定11分という長時間停車が設定されており、その間に新快速の大垣行に抜かれます。このバカ停で遅延は解消されましたが、平日夕ラッシュであるため普通列車でも流石に混みあってきました。

 

17時54分、最初に抜かれた快速よりも1時間以上遅れ終点の岐阜駅に到着しました。2駅手前の尾張一宮駅で快速米原行に抜かれるのはもうちょっとどうにかならないかなと思いますが。

 

尾張一宮で抜かれた影響で米原行まで30分弱時間が空くため、適当に駅前をぶらつきます。今まで通過点だった岐阜に降り立つのはこれが初めてなので、何が私を待っているのか楽しみですね。

 

待っていたのはフラウンスでした

駅前に堂々鎮座していたのは皆さん御用達のあのお店。岐阜っぽさの欠片もない買い物を敢行し、岐阜土産にフラウンス商品を購入。岐阜って最高!

 

岐阜から米原は写真が皆無だったので急に西日本区間に移動します。高槻から快速の上郡行で正真正銘の西日本入りを果たします!

 

……まあ、南草津で降りるのですが。

この日は、立命館大学に通うため南草津に住んでいる知り合いの家に泊めてもらうことにしていました。理由はもちろん宿泊費を浮かせるためです。最悪。おそらくこの文章を読んでいないであろう友達、お世話になりました。

 

本題はここから。翌朝8時、普通列車加古川行に乗車して西日本へ向かいます。本日の最終的な目的地は「鳥取」です。

 

その前に、まずは駅巡りの一環として1駅目の瀬田駅で下車。右側にあるロッテリアの旧屋号がいい味出してます。

 

窓に掲出された滋賀ダイハツアリーナの"S"の文字がちょうどいい感じに影を作ってました。

 

さて、瀬田駅の隣である石山駅に到着。新快速の停車駅で、京阪石山坂本線との接続駅になっています。

 

と、いうわけで。

 

12月27日の主題は「京阪大津線の駅巡り」です。京阪大津線は、京阪電車のうち琵琶湖周辺を走る京津線(けいしんせん)と石山坂本線(いしやまさかもとせん)の総称。とある経緯によりこの2路線だけが孤立してしまい、両線ともに赤字となっているため京阪から分社化されるという噂も流れている、愛すべき路線です。まずは京阪石山駅から南に1駅、唐橋前です。瀬田の唐橋がすぐ近くにあります。

 

石山坂本線は車体長の短い2両編成がとことこ走る、池上線のような地域密着型路線です。ホームも短く、主要駅を除いて簡易改札しか設置されていません。この雰囲気がまた、たまらなく良いですよね。

 

唐橋前駅の隣は南端の石山寺駅。駅名通り、徒歩圏内に石山寺があります。

 

というわけで徒歩10分、石山寺にやってきました。聖武天皇の勅願によってつくられたお寺で、境内に突出している珪灰石が「石山」の由来になったそうですが、それまでこの一帯はなんて呼ばれていたんでしょうかね。

 

駅に戻ると、そんな石山から名を採った鉄道むすめ石山ともか」ちゃんが出迎えてくれました*2。人気が高い、と勝手に思っています。

 

乗った電車が近江神宮前止まりの電車であったため、乗り通して近江神宮前駅へ。石山寺駅からこの駅までは日中10分間隔ですが、半数が折り返すためここから坂本比叡山口駅までは20分間隔となります。ちょっと世知辛いです。

 

次の坂本比叡山口行を待ち、隣の南滋賀駅へ。「滋賀県」以外で「滋賀」の字を見るとちょっと新鮮な感じがしますね。このあたりの地名が滋賀なのでしょうか。

 

しかし、駅南側の信号機はここ一帯を「南賀」と主張しています。駅名や県名は「滋賀」なのに、なぜ地名は「志賀」なのでしょうか。

 

元より大津市近辺は「滋賀郡」の所属でした。「しが」は由来を辿れないほど古くから存在していた地名のようで、漢字が日本に取り入れられた際に様々な当て字がなされ、統一されなかったのが現代にも尾を引いていると考えられています。

平家物語に収録されている「さざなみや 志賀の都*3は~」の句に使われているように、平安・鎌倉時代までは「賀」が主流でしたが、中世以降は後発とみられる「賀」の字が行政上多く取り扱われるようになりました。明治時代に入り廃藩置県が行われこのあたりは一旦大津県となりましたが、再整理の際に役所が滋賀郡大津町にあったことから「賀県」に改称。当駅が設置された際の町名は旧南賀村を由来とする大字南賀でしたが、住居表示実施に伴い成立したのは現在の南賀、ということのようです。歴史的経緯から見るとそもそも「どっちでもいい」わけですね。

 

駅間距離が非常に近かったため、次の電車が来るまでに隣の滋賀里駅に移動。踏切を挟んで停車場が設置されています。

 

このまま20分間隔地帯を制覇しようと思いましたが、15時台以降しばらくは近江神宮前行が消えて坂本比叡山口行しか走らなくなることが判明したため南下。京阪石山駅の隣、粟津駅に移動し再び北上していきます。

 

瓦ヶ浜駅では対向に「響け!ユーフォニアム」の装飾をまとった車両がやってきました。石山坂本線は広告車両を盛んに走らせており、このほかにもかつては「けいおん!」「中二病でも恋がしたい!」など、京都アニメーションの作品が装飾されてきました。

 

瓦ヶ浜駅から歩いて中ノ庄駅へ。途中あちこちにチェリオが100円で売っている自動販売機がありました。このあたりの地域は石山坂本線チェリオが根付いているようです。

 

膳所本町(ぜぜほんまち)駅。偏差値が異様に高いことで知られる膳所高校の最寄駅で、帰宅時間帯に当たったのか若干数の学生で混雑していました。その特性上、接続路線のない石山坂本線の駅としては珍しく自動改札機があります。

 

石山寺方面行ホームの屋根。こんなに趣がある駅舎で電車を待つ高校生活、これだけで画になりますね。

 

錦駅。明らかに看板のついていた跡があるところが元々は駅名標で、現在の駅名標がある部分はかつては窓だったようです。

 

京阪膳所駅琵琶湖線との接続駅です。京阪石山駅から数えて6駅目ですが、琵琶湖線に乗れば石山は隣の駅です。駅間距離はおよそ3キロメートル。琵琶湖線の駅が少ないのか、石山坂本線の駅が多いのか。

 

島ノ関駅。ほとんどの駅でしっかり駅名標を全種記録しており、このあたりで飽きが来ています。

 

石場駅。ご覧の通り、石山坂本線はほとんどの駅でのりば番号が設定されていません。

 

大津線開業110周年塗装を纏った603+604編成がやってきました。もっとも京阪600形の車体は260型・300型のものを流用しており、最も若い車体でも製造から55年と大津線史のうち半分を占めているのは公然の秘密です。

 

びわ湖浜大津駅に到着。大津線を形成するもう1つの路線である京津線が乗り入れる駅で、この駅周辺は路面電車のような併用軌道区間になっています。

 

石山坂本線を一旦離れて京津線の駅巡りへ。次の電車が発車する前に隣の上栄町駅を目指します。京津線も併用軌道が続いており、上栄町駅に向かって右折するまでの1キロ弱を道路とともに走ります。

 

上栄町駅びわ浜大津方面。ここも踏切を挟んで停車場が分かれています。

 

京津線で使用されているのは京阪800系。石山坂本線の600形・700形とは違い、本格的な通勤型車両の見た目をした4両編成です。繰り返します。4両編成です。これが先ほどの併用軌道を走る路面電車です。

 

これ」が道路上を走っているのです。異様な光景というほかありません。京阪京津線は元々は京阪本線三条駅を起点として浜大津駅に至る石山坂本線のような路線で、車両も600形・700形が共通運用で使用されていました。しかし1997年に京都市営地下鉄東西線が開業することとなり、重複する三条~御陵(みささぎ)駅間は廃止を余儀なくされました。その代わりに御陵駅から東西線に直通する運行形態をとるようになり、地下鉄に合わせて4両編成の小型普通車両である800系を用意することとなりました*4。しかしその結果運賃が割高になり乗客が離れていき、大津線全体で算出された年間15億円の赤字はほとんど京津線によるものであると囁かれているほどです。あと塗装はこの旧塗装のほうが好きです。戻してくれ。

 

そんなわけで分社化も検討されましたが、この状態で手放しても最終的に赤字になって経営に行き詰まる未来が見えるため、経費を圧縮し収支が均衡した状態でサヨナラする予定らしいです。けいはん様は手放したい!

上栄町駅から2つ飛ばして四宮駅を訪問。車庫が併設されており自動改札機も設置されています。駅舎も立派です。

 

3番線*5まであるやけに広い駅構内に、輸送力過剰な4両編成が入線してきます。京阪山科駅は2022年9月に探訪済であったため、折り返して上栄町までの各駅を降り潰します*6

 

全国に4つある追分駅です。対向式の停車場が地下道で結ばれています。

 

2017年に大津線系統の案内標はほとんどが京阪本線のものと同一に更新されましたが、追分駅の地下道はその更新の波を逃れ生き残った残党が2つ存在します。南出口には国道しかありません。

 

もう片方は2つある南出口の案内です。やはり道しかありません。

 

大谷駅。もはや駅舎と言えるか怪しい領域に入ってきました。この駅に4両編成がやって来るとはおおよそ考えにくいです。

 

当駅は山越えの途中区間に存在し、日本一の急傾斜地に設置されている駅でもあります。その勾配はなんと40パーミル。本来駅は10パーミル以下でないと設置できないのですが、4両編成に対応させるためにはこのような配置にせざるを得ず*7、特例で認められたそうです。本当に不思議な路線です。

 

その傾きを象徴するのが左右で脚の長さが異なる腰掛け。駅に限らず公共の場ではまず見かけることのない光景です。でも、学校に必ずやたらガタガタして安定しない椅子ありましたよね。あれどうなってるんでしょうね。

 

石山坂本線に戻ります。三井寺駅です。平安後期に軍事力を持ち、都に圧力をかけたことでも有名な寺で、園城寺とも言います。

 

大津市役所前駅。信号を渡った先に大津市役所がありますが、2018年に駅名を改称するまでは別所駅を名乗っていました。別所は園城寺が持つ別館のような施設を指すのですが、市役所の前に位置しながら別所というのはちょっとややこしいですね。

 

京阪大津京駅も、2018年に皇子山(おうじやま)から名を変えた改称組の1駅です。これは後年開業したJR湖西線大津京駅との乗換駅であることを示すためで、JRに屈したと言ってもいいでしょう。

なお「大津京」というのは「平安京」「長岡京」のような条坊制を敷いた都ではなく、歴史的な史料では「近江大津宮」や「近江京」と記されています。これを無理くりに解釈した名称が大津京であり、無理くりに西大津駅から改称したのが大津京駅であるため、一部では不適切な駅名であるともされています。なお、その「大津京」とされる痕跡が見つかり公式に指定されているのは、近江神宮前駅付近の錦織遺跡です。

 

先ほど降り潰した3駅を飛ばし、穴太駅にやって来ました。こう書いて「あのお」と読みます。アニメ「中二病でも恋がしたい!」では、この駅が主人公たちの通う学校の最寄駅の題材とされ、たびたび登場します。

 

松ノ馬場駅です。駅舎もなく、入口も方面別に独立しています。

 

画像

名所案内がこうなっていることからお察しいただけるように特筆すべきことがありません。

 

御陵駅を除くと大津線で最後の訪問駅となる坂本比叡山口駅。ケーブルカーを除くと比叡山延暦寺の最寄りとなっており、駅舎も立派です。冬季は京都側から訪問することができないため多少は賑わいそうです。時間がないため今回は見送りましたが、いつかしっかり時間をかけて訪れたいですね。

 

ここで、終日走っていたのになかなか運用が合わずに乗車できていなかった「響け!ユーフォニアム」装飾の車両に初乗車。せっかくなので午前に訪問した石山寺まで乗車します。車内の吊り革などもしっかりユーフォ仕様になっていましたが、全部載せると1月の写真容量を圧迫するため割愛します。

 

車内放送を録りつつ石山寺に戻ってきました。ともかちゃんが朝と変わらぬ笑顔で出迎えてくれました。全駅巡ってきた後だと「よく頑張ったね」と声援を送ってくれている気がしてきませんか?これ書いてるの徹夜明けの5時なんで多分気が狂ってるんだと思いますが。

 

石山駅に戻ってきました。大津線を堪能し尽くした後はひたすら本日の目的地に向かうのみです。

 

ここまで普通列車のみを乗り継いできたという謎の自尊心が働いたため、高槻から快速になる網干行を乗り捨てて高槻始発の新三田行に乗り換えます。これ乗ってるとJR宝塚線に入ってしまうので、大阪駅でもう1度乗り換えます。

 

大阪駅に到着すると、この日の昼にJR神戸線内で発生した輸送障害の煽りを受けて定期設定のない大久保行の新快速が発生。超珍しい、というわけではないようですが、そもそも大久保駅は新快速の停車駅ではない*8ため、こういった形式の定期外がなかなかお目にかかれない関東民は興味津々でした。

 

充当車両はおそらく225系だったと思います。側面表示もたぶん綺麗に撮れたので思わぬ収穫でした。

 

……ときに、大阪で普通列車を乗り捨てたわけですが、本日の目的地はどこだったでしょうか。

 

次回 遅きこと、はまかぜの如し

この日の主題はもうひとつありました。

 

 

*1:すべての列車がこの様式に当てはまるわけではなく、静岡で分断され両者が接続を取っていない場合や、熱海から富士を超えて静岡方面に乗り入れる場合もありますが、1時間あたりの本数としては概ねこんな感じです。

*2:「ともか」は「坂本」の逆さ読みから。

*3:紫香楽宮信楽宮)のこと。信楽も「しが」の読みが入っているものの、所在が甲賀郡であり滋賀の成り立ちとは一切関係ない模様。

*4:直通先の東西線は6両編成。さすがに路面電車区間に6両は長すぎた模様。

*5:駅舎側の単式ホームが3番線。なお駅構内には旅客向けの案内は存在しない。

*6:御陵駅を忘れていることには大津市役所前駅で気づきましたが地下鉄訪問時に降りると思うので爆死は免れたことにします。

*7:この写真の向かい側は急カーブ。

*8:しかし通勤特急らくラクはりまは停車する頓珍漢な駅。