西日本私的遠征③──思い出の中に冬桜

若桜鉄道1日乗車券を購入し、隼駅はやぶさえき)に降り立ちました。新幹線は来ませんが、自動二輪の集まる駅です。あと八川も来ます。八川です。

 

郡家駅までたどり着いた私はそのまま若桜鉄道線に乗り換え、3駅目の隼駅で下車。2008年、「月刊ミスターバイク」において「8月8日、スズキのGSX1300Rハヤブサのオーナー(乗っている人)で隼駅に集まろう」と呼びかけがなされ、当日7人が集まったことに始まる、毎年1000台以上のハヤブサが集まる8・8隼まつりが開催される地域です。八東町やスズキの協賛を受けていますが、興味深いのは若桜鉄道もこの町おこしに協力していること。結果的に駅の活性化につながれば良いのですが、そもそも自動車というのは鉄道の敵といっていいものです。

 

若桜鉄道は2010年、かつて駅事務室だった部分に関連商品を販売する売店を開設。2010年に北陸鉄道が譲渡先を募集していたED301を、2011年にムーンライト高知・松山で使用されていた絨毯仕様のオロ12 6をそれぞれ購入。「ライダーハウス」とよばれる自動二輪乗りの簡易宿泊施設に改造し、ハヤブサ民を受け入れたのです。

 

ちなみに先ほどまで乗車していた2両編成の片方は、スズキ協力の下2016年よりハヤブサの装飾を施しています。お披露目時には実際にハヤブサと並走したこともあるとのこと。現在の塗装は3代目です。「宝くじ号」の表記はこの車両のみが宝くじの助成金を受けて製造された車両であるゆえのもので、塗装とは関係ありません。

 

駅舎は1930年開業当時からの木造のものを継続して使用。左側の駅事務室部分が売店でしたが、冬季休業中だったのか早すぎたのか開いていませんでした。

 

駅名標。極力国鉄のものに寄せていますが、八頭町の発足が2005年なので少なくともそれ以後に設置されているものであると分かります。

 

第1種駅名標には覆いかぶさるように正月のしめ縄飾りが。粋な計らいですが、駅名標を撮りたい身としては正直邪魔です。確かに最も飾るにふさわしい場所ではあるのですが。

 

この「STATION」表記がない駅名標因美線姫新線などの駅に設置されているものと酷似しており、若桜鉄道に移管される前の国鉄時代に作られた可能性が高いと勝手に思っています。

次の列車まで時間があるので、ひとつ郡家寄りの因幡船岡駅まで徒歩で向かいます。若桜までの距離が修正されていますが、これは若桜が近づくか遠ざかるかしたのでしょうか。

道中に24時間営業している便利な店があれば小腹の足しになるので、あったら立ち寄りたいですね。

 

ありましたが近寄れませんでした。

 

兄ちゃ~ん?ちょっと亜美がほいほいのほい、って感じで髪切ってあげるから!早く早く!

 

30分ほどかけて因幡船岡駅(いなばふなおかえき)に到着。こちらも開業時からの駅舎と、隼駅と同一の形式である駅名標を掲げています。こちらの駅事務室部分は縫製工場の事業所を兼ねています。

 

因幡牛を出荷するために船岡家畜牧場が併設され、国鉄若桜線から旅立つ際にこの牛秤を用いていたそうです。貴重な遺産ですが、駅にそのまま置いてあると迫力がすごいですね。

 

8時53分、さきほどの隼塗装を切り離して折り返してきた、鳥取行の「昭和号」が入線してきました。名称は昭和5年開業であることに因んでおり、車両の更新工事と合わせて観光列車のような外観・内装に変更されました。車両保有が2016年に八頭・若桜の両町に無償譲渡されたからこそできたことかもしれません。

 

8時55分、八頭高校前駅(やずこうこうまええき)に到着。郡家から1キロ足らずの地点に新設された若桜鉄道転換後の駅で、郡家からの運賃はたったの100円。因美線で通学する学生に少しでも若桜鉄道に乗ってもらおうという狙いが見えます。なお、郡家駅の入場券は150円であるため、列車に乗るほうが安い逆転現象が起きています。

 

そういった駅建設の経緯もあって、当駅から郡家駅まではおよそ10分ちょっと。汽車を待つよりも歩いてしまったほうが早いので、とりあえず駅を去ります。

 

Brother~? Ami's going to cut your hair like hoi hoi hoi! Come over here, quick!

 

9時08分、郡家駅(こおげえき)に到着。先ほど乗った鳥取行の昭和号は当駅で因美線鳥取行に接続し、自身は8時57分着・9時21分発と30分近く停車するため、八頭高校前駅で降りて郡家駅まで歩いても余裕で乗り継ぐことができるわけです。これを活かし、若桜鉄道が乗り入れる因美線区間の東郡家・津ノ井を巡ります。

 

というわけで、日本交通の70系統・鳥取駅行に乗車していこうと思います!

 

9時21分、堀越停留所に到着。左奥に背景と同化している停留所があり、なぜか進行方向側に待合所が設けられています。高齢の方が乗車するとなると停車してから発車までにかなり時間を食われそうです。

 

待合所を越えて線路沿いに歩くと、いつの間にか東郡家駅が始まっています。

 

こちらが東郡家駅の駅舎……というより、待合室。若桜鉄道の駅に比べるとなんかこう、物足りなさを感じてしまいますね。

 

そうこうしていると、郡家駅を発車した昭和号が東郡家駅に入線。八頭高校前で降ろした客が東郡家から乗ってくるというのは彼にとっても恐怖だったでしょう。

 

若桜鉄道の1日きっぷでは因美線区間に乗車できないため、整理券を取って普通片道運賃を支払います。JR因美線区間ですが「若桜鉄道」として発券されるんですね。

 

津ノ井駅(つのいえき)に到着。1面2線の交換駅ですが、交換のない場合は2番のりばを使用します。これは構内踏切で駅舎に連絡しており、1番のりばに停車する場合は通行できなくなるためです。

 

駅舎は年季が入っていそうですが、1919年の開業当時からあるとは考えにくい見た目です。築50年以上は経ってそうな気がしますが、詳細は不明。

 

駅舎を撮影していると、先ほど堀越で乗り捨てた日本交通の70系統が通り過ぎていきました。東郡家に対応する停留所は「堀越」でしたが、津ノ井は「津ノ井駅前」となっています。

 

東郡家が冷遇されているというよりも、ついこの前まで簡易委託駅であった津ノ井が良い扱いを受けている、といったほうが正しそうです。しかし掲出期間を半年以上過ぎても残ってるのはいかがなものでしょうか。

 

ここで小銭が尽きました。車内の両替機に突っ込んでも良かったのですが、飲み物をもう1本確保したかったためちょっと足を延ばしてお札を崩します。旅先でこういうお店に行くと、なんとなく現地の人間になった心地がして好きなんですよね。

 

津ノ井からは鳥取を折り返してきた昭和号に再び乗車し、若桜鉄道線に戻ります。行程上致し方ないのですが昭和号にしか遭遇しないので、そろそろ別の列車に乗りたくなってきました。

若桜駅のひとつ手前である丹比駅まで一気に乗車。日本で唯一「ぴ」で終わる駅です。2人で駅名しりとりをしていると強力なカードに見えますが、相手に「比布(ぴっぷ)」と返されると、「ぷ」で始まる駅は存在しないためこちらが自爆する羽目になるので気をつけましょう。

こちらも開業当時からの駅舎で、簡易委託先として美容室が入店しています。定休日がありますが、この日に窓口業務は行うのでしょうか。

 

線路の向かい側には工場が立地しています。騒音はそれほどでもありませんでしたが、何らかの番組を流しながら作業しているようでその音声がやたらと響いていました。かつては写真中央にある柱に琺瑯駅名標が設置されていましたが、撤去されています。

 

若桜で折り返してきた、またもや昭和号でひとつ郡家寄りの徳丸駅(とくまるえき)に到着。こちらも若桜鉄道線開業後に設置された新駅で、八頭高校前駅よりも窮屈な印象、というよりもはるかに窮屈です。線路脇の土地しか買い取ることができなかったのでしょうか。

 

入口はこのような形で、駅舎はおろか徳丸駅があることを示す看板すらひとつもありません。若桜鉄道で駅舎がなく、簡易委託も行っていない完全な無人駅は徳丸駅のみとなっています。

 

田舎の風景にポツン、と徳丸駅。いわゆる「水戸岡デザイン」によって2020年に木造風に様変わりしており、以前のもっとごつごつした見た目の屋根でも見てみたいなあと思いました。訪問がちょっと遅かったですね。

 

次の列車まで時間がありますので、本日3度目の駅間徒歩を敢行。

道中に旧八東小学校がありました。2016年度をもって安部小学校・丹比小学校と統合し新・八東小となり、この校舎は放棄されてしまったようです。名称こそ引き継がれていますが、どの在校生も当時の校舎とお別れしなければならなかったと思うと寂しいですね。

 

そんな小学校の名称と同じ八東駅(はっとうえき)に到着。こちらの簡易委託は地域住民が行っており、かつては山岡電機が委託していましたが撤退。その後は喫茶店が入居したものの2年で閉店してしまい、現在に至ります。喫茶店時代はかつての駅事務室部分に入れたと思うと、これも早く訪問したかったなあと考えてしまいます。

 

八東駅は2020年に行き違い設備を設置。これにより1日あたりの本数が1.5倍となり、若桜鉄道の輸送力増強に貢献しています。

若桜鉄道は黒字経営で有名ですが、これは車両を町保有にすることで国に固定資産税を支払うのではなく町に使用料を支払うことで出費を抑えるという方法を取っているため。決して経営がうまくいっているわけではないので、本数を増やすことで日常的な鉄道利用を定着させようという狙いがあったようです。

駅構内には2020年に閉園した加悦SL広場から搬入された排雪車のTMC100BS形と、2011年に宇都宮貨物ターミナル駅からやってきた有蓋緩急車ワフ35597が保存されています。右手にあるのがかつて使われていた貨物用の停車場で、これをなるべく当時の状態に復元させようという取り組みのようです。排雪車のほうは「え、そこに絵描いちゃうんだ」って思いますけど……

 

ちょうど列車交換を行う時間帯でした。鳥取方面へは若桜で切り離されていた隼装飾車が、若桜方面へは三度折り返してきた昭和号が入線してきました。1日あたり7回行き違いを実施するようですが、ほとんどが夜の暗い時間帯のようです。

 

今回は隼のほうに乗車。昭和号などとは違い、登場時とほぼ変わない内装のまま走っています。車内放送は録音しませんでしたが、もしかしなくてもこんなゴツゴツに外付けで設置してるものから流してるってことですよね?

 

八東駅のひとつお隣、安部駅(あべえき)です。「安井宿」と「日下部」の2つの集落で駅名や駅の設置場所で大いに揉めたため、駅の開業は他の駅よりも2年遅れています。出入口が2つあるのもこのためであるという説があります。

 

安部駅は「男はつらいよ」の第44作「寅次郎の告白」の舞台として使用されました。鳥取県を旅立つ場面で使用されたようです。出入り口の構造ゆえに机や椅子がでかでかと設置できず、かえって殺風景になっています。

 

駅前にはなぜか停留所代わりにさせられている自動販売機がありました。1日3便、すべて土休日運休なので、副業でしょうね。

 

安部駅からは若桜に乗って最後の訪問駅・若桜を目指します。偶然ではありますが、若桜に向かうにあたって初めて若桜号に当たるのは運命的なものを感じますね*1

 

車内は終点まで貸切だったので、内装を撮影。おおよそ追加料金不要の列車とは思えませんが、もちろん必要なのは普通運賃のみです。3両いるWT3000形はすべてこのように観光列車化されており、今回の旅程では遭遇しませんでしたが、他に赤色の「八頭号」が走っています。1987年の登場同時には4両体制でWT2500形として在籍していましたが、2002年に1両ずつ主要機器を交換してWT3000形に改造。その際に不足する車両分を補うため現在の隼装飾車にあたるWT3300形を宝くじの助成金を受け投入し、3両の改造工事を終えると5本体制となりましたが、5両も維持するお金がないため1両は廃車されてしまいました。

 

若桜町に突入し、列車は終点の若桜駅に到着。開業時からの駅舎内には若桜鉄道本社のほか「わかさカフェ retro」が入居しており、路線名通りの活況を呈しています。

 

丹比駅では撤去されてしまっていた琺瑯駅名標。2枚も残存しています。本社が入っているので、その気になればいつでも撤去できてしまいそうなのが怖いですね。末永く残ってほしいものです。

 

駅構内にはかつての蒸気機関車時代を偲ばせる転車台と保存車が。C12 167は車籍こそありませんが構内を年数回展示運転するようです。奥はDD16 7。2015年に両機で客車を挟み「社会実験」と称して試運転を行いましたが、以降本線上に出てきたことはないようです。

 

なお、若桜駅を含む因幡船岡・隼・安部・八東・丹比の6駅と転車台などの施設は国の登録有形文化財であり、今後やむを得ない事情がない限り改築・解体される可能性は限りなく低いと言えます。とはいえ廃線になってしまっては元も子もありませんので、乗って訪れて若桜鉄道を守りましょう!1日乗車券は760円、単純に往復するだけでも120円おトクのトンデモきっぷです。

 

あとは折り返しの若桜号で鳥取まで戻ります。放送は正常でしたが、運賃表が鳥取若桜行になっています。連動しているのかと思っていましたが別個で動いているんですね*2

 

郡家で因美線に乗り換えます。やって来たのは智頭急行の上郡から通しで鳥取まで直通してくる智頭急行の車両であるHOT3500形です。直通があるのは知っていましたが、まさか来るとは思っていなかったのでびっくりです。

 

なお、ちょうど八頭高校の下校時刻に当たってしまったため車内は大混雑でした。せっかくならHOT3500形にも座ってみたかったですが、因美線の明るい未来がちょっとだけ見られた気がしたのでヨシとしましょう。

 

鳥取から鳥取大学前までの山陰本線では、昨日今日と乗ったキハ47形ではなくキハ126系の石見神楽装飾車に乗車。キハ126系は3月に出雲市から宍道に乗って以来、2回目の乗車です。何らかの運用でしっかり乗り通してみたいですね。

 

鳥取大学前に着いてから、鳥取駅で購入した元祖カニめしの駅弁を家で食します。実は人生で初めての蟹。ど身内に蟹アレルギーの人間がいたため食べてこなかったので、どんな味がするのか正直この旅で一番楽しみにしていました。さすがは臨時列車まで走らせる冬の味覚、めちゃくちゃ美味しいですね。

 

画像

この日は若桜鉄道の駅巡りだけで行動終了。夜は同期おすすめの牛骨ラーメンを食べました。「牛骨ラーメン」という存在自体初めて知ったのでこちらもワクワク。牛骨と聞いて想像したままの味ですが、つまり美味しかったです。近くにあるかな、また食べたいな。てかレンゲどこに置いてるねん。

 

次回 貨物さんの貨物列車~姫新編~

乞食しかしとらんやん

 

 

*1:突然本線上に現れたように見えるのは、昭和号に津ノ井から丹比まで乗車した際に、若桜鳥取行として郡家ですれ違っていたため。

*2:丹比で運転士さんに報告しました。