3月5日(土)
中国地方遠征もいよいよ折り返し、少し寂しくなってきた八川です。
前日もホテルはかいていさんとご一緒させていただきました。ホテル内からツイキャスをして、「今聞こえるもう1人の声は誰でしょう~?」とかやったりしましたが、なぜか視聴者には萩薬師さんと間違えられていました。サンライズ見送ってくれてたのに来てたら恐怖だわ。
山陽本線 普通 糸崎行 8:11広島→9:30糸崎
回遊した広島を離れ、ふたたびローカル線を目指し山陽本線を上ります。227系の写真が全くなかったので広島駅構内の写真でお茶濁し。センバツ出場おめでとうございます。
かいていさんとは途中の八本松駅でお別れしました。2日間ありがとうございました。
山陽本線 普通 相生行 9:32糸崎→11:02岡山
なんだこの食パン電車?!
存在は知っていましたが実際に見るととんでもない違和感!食パンと揶揄されるのも納得。ここからはこの食パンで岡山県へ入ります。6両の客を3両で詰め込むのでこの写真を撮影している間に席が埋まるのではと思いましたが、最後尾の座席が1つだけ奇跡的に空いてました。
寝てたら岡山でした。ここから芸備線ぶりの非電化区間を巡ります。まずは津山線からですが、今回津山線を本格的に巡るのはパス。路線名の通り津山まで乗り通します。
津山線 快速ことぶき 津山行 11:10新見→12:17津山
芸備線では乗ることのできなかったキハ40(これはキハ47ですが)に念願叶って初乗車です。津山線の快速は、金川(かながわ)、福渡、神目(こうめ)、誕生寺、亀甲(かめのこう)など縁起の良い駅名が続くことから「ことぶき」という愛称がつけられています*1。
ちょうどお昼時に津山駅に到着。席が埋まってたのでロングシート部分で乗り通しました。初キハ40がそれでいいのか?
改札口には発車標が。今回の目的は因美線ですが、この間に姫新線の新見方面に行けるためそちらに乗車していきます。
姫新線 普通 新見行 12:47津山→13:27久世
のりば間違えました。たしかに誰もいねえなとは思いました。始発で余裕があるので間に合いましたが。
使い古されたネタですが、意図せずこの数字に遭遇してしまうと思わず言ってしまいたくなります。な阪関無
久世駅に到着。岡山県真庭市の代表駅、ということになっていますが、お隣の中国勝山駅の方が利用が多いです。しかしこの駅がダメ、というわけではなく、簡易委託とはいえなんと駅員がいます。キハ120形が1両でやってくる駅とは思えん(感覚麻痺)
跨線橋からの風景。絵に描いたような山々がすぐそこに迫る中、左手には人々の営みを感じられる。ちょっと風情はないかもしれませんが、ローカル線の理想的な光景だと思います。今のところこの区間に明確な存廃問題はあがっていませんが、芸備線や木次線が処分されるとなると姫新線のこのあたりは危ないと思います。
2番のりばの待合所でご飯をパクパク。津山のファミマで調達した値引き商品を買ってきました。中国地方遠征記事になぜか皆勤賞のウマ娘。
ちなみに待合所の壁面はめちゃくちゃ治安が悪かったです。こんなところでゆっくりしてたまるか。
姫新線 普通 津山行 13:48久世→14:27津山
人を寄せ付けない待合所とはさっさとおさらばして津山に帰ります。久世からは私以外にも1人乗車していましたので、少なくとも俺らは芸備線や木次線の過疎区間とは違うぞ、という姫新線と真庭市の抵抗を感じました。
ふたたび津山に復帰。先述の通り、因美線の過疎区間を巡るため15時14分発の智頭行に
乗らずに東津山に着きました。
実は津山線に乗車中、岡山在住の遅れ通過貨物さんからダイレクトメッセージが。「行程を見た感じ因美線のロスタイムが大きいので、こだわりがなければ車出しましょうか?」「はい!(即決)」とお誘いを受け、ありがたいことにお車で智頭までの各駅を巡らせていただけることに。1日数往復の区間のために何度も来るのは正直面倒くさい(決定的に駅巡りに向いていない発言)ので、お声掛けいただき非常に嬉しかったです。生半可な言葉では言い表せないほどの感謝です。
高野駅。朝に走る智頭方面の上り快速は停車しますが、夜に走る津山方面の下り快速は通過します。
駅名標が二重にある美作滝尾駅。アグネスタキオンっぽくね?と思ってミマサカタキオンとか思いついたのですが、まずウマ娘が貨物さんに伝わりませんでした。Twitterで検索したら何件かヒットしました。恥ずかしさを二重に残してきました。
くだらないことを言っていたら、津山から乗車予定だった因美線が。本来これで高野へ向かい1時間半次の列車を待機する予定でした。再三言っていますがこうして各駅を巡ることができたのは本当にありがたい話です。
ゴーゴーレッツゴー 跳ねろマウンド三振奪取 決まってるぜ リーゼント 勝利だ三浦
現ベイスターズ監督、番長こと三浦大輔と同名の三浦駅です。1992年に前身の横浜大洋に入団、98年に優勝・日本一を経験するもその後チームは長い暗黒期に転落。多くの選手が惨状を見限りチームを離れていく中、2016年に野球人生を横浜一筋で終えた神様のような選手です。ベイスターズファンはみんな番長のことが大好き。25年間で1度しか味わえなかった優勝の喜びを今度は監督として達成してほしい!そんな思いでいっぱいです。三浦駅で優勝祈願!
なお、貨物さんは阪神ファンです。ヤバい、さっき334とか言ってしまった……
美作加茂駅。津山方面へは当駅始発・当駅止まりの列車が設定されている快速停車駅で、智頭までの途中駅では最も栄えており、有人駅です(ここに感動)。
2番のりばには手書きの番線標が残存!特に鳥取の「取」の字がたまりません。こういった古い看板が放置されているのもローカル線の醍醐味のひとつです。
知和駅。字形が似ていてややこしいうえに山陰本線には和知駅があります。どうかしている*2。
知和駅は改札を抜けてホームまで上がるちょっとの空間が、漫画「のんのんびより」第2巻の帯に描かれている光景そっくりであるということで、正確な舞台の分からない同作においては聖地扱いされています。せっかく現地にいるので、貨物さんにその旨を伝えたところ「女の子がリコーダー吹いてるやつですね」と、作品をご存知でした。のんのんびよりは市民権を得ていました。にゃんぱすー!
画像検索で「これはどう考えても知和ですね~」と感動(?)を共有していたところ、よくよく見てみると構内に駅ノートとともにのんのんびよりそのものが。誰が置いてったんだこれ。地元で知られているという事実に驚愕しつつも、せっかくなら……ということでちょっとお借りしてみました。
文句なしに知和。
撮っていると貨物さんから「(れんげちゃんの)ポーズの真似して撮ります?」とご提案をいただきましたが、さすがに恥ずかしいのでやめておきましたなのん。でもちょっとやっておけばよかったかもしれないと後悔してるん*3。
美作河井駅。屋根に雪が積もり始めました。この先列車は長いトンネルをくぐり鳥取県に入り、山々が近づいている証拠ともいえます。
ホーム端からは「矢筈城跡」の文字が。「あれなんて読むんでしょうね?」と尋ねたら「やがわじょう」のレスポンス。私城主じゃないです。
駅前に説明書きがありました(水平に撮れ)。読みは「やはずじょう」で、「確か〇〇のはず~」の「はず」で使う漢字ですので何のひねりもありませんでした。
詳しく読めば分かりますが、ざっくり言えば開城して明け渡すまで1度も落とされなかった難攻不落の堅城であると語られています。高い標高に建てたことで攻めづらい、というのは弥生時代の紫雲出山からも分かりますね。強そうな城だったのでやっぱり矢川城ってことになりませんかね
一通り写真を撮り終え戻ろうとした瞬間、少し離れたところの屋根から雪が落下してきました(写真中央より少し右に散らばっている雪)。おお怖。
ここから次の駅までは県を越えねばならず、ナビは近道ではなく遠回りの48分かかる道を案内してきやがりました。貨物さんは安全運転を心がけて近道で行きます!と発進したものの、近道は路面凍結のため全面通行止でした。安全運転どころか、死ぬぜ。ということで48分かけて次の駅へ向かうこととなりました。ナビは正しかった。
なぎです。ネギではありません*4。
ホームに至るまで異常に長い階段があります。高低差のためなのでしかたないのですが、周辺の駅と比べ若干ハイスペックに見えてきます。
何やら明らかに最近設置されたであろう安全確認用のモニターが。この奥には同じく新品の柱でカメラもついており、その映像がこちらに映し出されている様子。貨物さんがモニターを監視しつつ私がカメラの前に行ったら映ったらしいので間違いなく連動しています。
実は当駅には始発列車が設定されており、智頭を跨いで唯一鳥取まで向かう列車になっているのですが、これがこの下りホームから上り方面へ発車していきます*5。
現在はツーマンですが、この新品のモニターとカメラからしてワンマン化されることが推測できます。ホームが大きく曲がっているので視認するためのものでしょうが、この始発列車のために数十万、下手したら百万単位のお金をつぎ込むとは、まだ因美線には望みがあるととらえていいのでしょうか?
そうこうしていると津山行のキハ120形がやってきました。乗客も降客も0人。あれ?
土師駅。急に駅舎が消失して待合所だけになってしまいました。文句なしの三浦駅以下です。
「はじ」と読む地名は大和時代に使われた「土師器」と関係があるのかな?と思い後から調べると遠い親戚のようなものらしく、埴(はに)と呼ばれる粘土で埴輪を発明した人物が「土師」という姓を賜り、以後子孫がそう名乗ったために当時の土師氏が持っていた領地にそのまま土師という地名が残っているそうです。近鉄にある土師ノ里とかもそのひとつだとか。土師器は埴を使って作る土器だから土師器というみたいです。なぜハニがハジに変わった(訛った?)かはよく分かりません。
とにかく、このあたりは歴史的には由緒ある土地ということになります。そこにこの駅舎でいいのかとも思えてきますが、利用客が少ないのでしょうがない。
智頭駅に到着する頃には完全に夜になっていました。当駅を境に因美線の栄枯を分けた遠因*6を作った智頭急行が乗り換えられるということもあり周辺は栄えているものと思い込んでいましたがそういうわけでもなく、ただ接続駅であるという感じでした。これの究極版が①で紹介した備後落合ですね。
ですが全く栄えていないというわけではなく、立派なロータリーと駅付近には飲食店が。東津山から土師までには無かったのでここだけで「俺は一味違うぜ」という雰囲気が見てとれます。真っ暗ですが。
その駅前にある飲食店で夜ご飯です。こちらは「ホルモンラーメン」。スープと熟成されたお肉が非常に美味しかったです。駅前にあるので智頭を経由する旅を計画されている方はぜひ。
駅に戻るとちょうどキハ120形が入線。今回はのりば間違えではなくちゃんとここで撮ろうと思ってました。
貨物さんとお別れし、ここは当初の旅程通りの列車に乗っていきます。
因美線 快速 津山行 19:24智頭→20:36津山
途中停車駅は土師・那岐・美作加茂・東津山。智頭までの旅客列車を津山まで入庫させるにあたり運転されているという側面が強く、いわば快速備後落合行の逆パターンです。ただこちらはしっかりと地元の方がいらっしゃいました(那岐で降りました)。
道中は飛ばしまくるというとそういうわけではなく、大量の必殺徐行区間も相まって那岐~美作加茂はおよそ30分かけて駆け抜けます。そもそも那岐~美作河井が10分近くかかるのでしかたのない面もありますが、それでもちょっと遅さが目立ちます。
美作加茂では列車交換のためさらに6分停車。相手は智頭行最終列車で、立ち客がいるほど混雑していました。意外というと失礼ですが、因美線の未来はまだギリギリ明るい気がします。まあそりゃあ芸備線や木次線という比較対象が突飛すぎるというのはありますが。
津山駅に到着。長時間ともにいた因美線ですが、列車として利用したのはこの1時間ちょっとだけ。
4番のりばにはその日の役目を終えたキハ120形が静かに眠っていました。まあ津山線の邪魔なだけなのでそのうちどくと思いますが。
昼に見た液晶ディスプレイをふたたび見ると今度はすべて「最終列車」の文字が。津山駅は朝の始発が早く、津山駅終着の列車が遅いことで有名ですが、各方面へ出る最終列車自体はそこそこ早めに設定されています。
因美線は快速で精一杯津山まで下ってきたわけですが、私を見送った貨物さんの車がすでに駅前で待機済み。津山から再び拾っていただき、宿泊先の岡山まで送ってくださることになりました。智頭までの各駅を巡ってくださった上に深夜のこの時間まで乗せていただき本当に頭が上がりません。しかし快速でも車に勝てない因美線が悲しくなってきます。
車内では野球の話でめちゃめちゃ盛り上がりました。好きな球団こそ違いますが野球が好きというのは同じですので、お互いの情熱を語りました。
私を乗せた貨物さんの貨物列車は22時過ぎに岡山へ到着、津山から安全運転で送ってくださいました。重ね重ねですがこの場を借りて感謝申し上げます。
岡山駅名物の洗練された発車標で匂わせツイート。貨物さんの方がふぁぼ数多いのですがこれは今年横浜は阪神にボロ負けしてしまうということでしょうか
ということで、地獄のような待ち時間を抱えていた5日(土)の旅程は天国のような楽しい時間へと変貌し終了しました。この岡山駅到着をもって中国地方遠征の目的は果たされ、6日(日)は上り列車を乗り継いで埼玉に帰るだけとなります。
次回 ドキドキ帰宅部
誰かがなんかします。
localkisuki.hatenablog.com